Dentistの理由


私は長野県の出身です。  高校3年までの18年間を過ごしました。 

 

歯医者とは縁のない一族に育ち、  将来は自分で会社経営を  するつもりでいました。 

 

当時の長野県では、  他の地方同様、  レベルの低い歯科治療が  蔓延していました。 破壊活動と歯科医療行為は  同義語であったかもしれません。 

 

案の定、小学生から高校生までの間に、  私の歯はレベルの低い歯科治療により  滅茶苦茶にされました。 虫歯でもないのに削られ、  そこから虫歯が拡大し、  虫歯を放置したまま、  詰め物や銀歯を被せるので、  虫歯は内部から大爆発して、  ハイシャさんの指示通り  朝昼晩、磨いても磨いても  歯は慢性的な虫歯により  内部から悪くなって行きました。 

 

そして、中学1年の時、  自転車事故で前歯が  3本折れてから、  さらに悲惨な状況になりました。  治療と言うことで、  神経を取られたのですが、  神経を取られたはずの歯であるのに、  うずくのは当たり前、  我慢ができないくらい  痛くなることもあり、  日常的に排膿すらしていました。 

 

アメリカに留学する直前、  また歯が痛くなったので、  知り合いの紹介で東京銀座にある  「天皇陛下のハイシャさん」に行き、  高級外車が1台買えるほどの  高額な治療を受けたのですが、  アメリカに留学して  3ヶ月が経過した頃、  案の定、歯がまた痛くなり、  オハイオ州立大学歯学部付属病院  のER(緊急外来)に駆け込んだところ  アメリカの歯科治療と比較すると  「信じられないような  インチキ治療のレベル!」  であることが判明し、  全てをやり直すことになりました。 

 

数百万の治療が  数ヶ月しか持たなかったのです。  しかし、その時、  歯を治せる歯科医療の  真髄を垣間見たことが、  私のDentistになる  きっかけとなりました。 

 

そこで私が受けた治療こそが、  RCT(Root Canal Treatment)と  呼ばれる  歯の内部の神経を  治療する方法で  Evidence Based Medicine (EBM)に  基づいた  アメリカ歯科標準治療  だったのです。 

 

私は、物心ついた頃から  日本のハイシャさんに  通い続けたのに  歯はどんどん悪くなり、  高校生になった頃には、  20代で総入れ歯に  なるかもしれないと  不安だらけの毎日でした。 健康な歯で笑う人や  何を食べても  歯が痛くない人が  とても  うらやましく思えました。 

 

自分の歯で一生を過ごすという  人間としての最低限の希望を  考えることすら  不可能な状況であり、  いつか自分の  全ての歯は抜歯になると  覚悟していました。 なぜなら、  それが私の祖父、  祖母、父、母が  たどった道だったからです。 

 

いくら高額な治療費を払っても  見かけだけが綺麗な  インチキ治療しか  受けられないのが  日本の歯科治療であったのに、  アメリカでは  治療を受け始めると  数週間のうちに、  全ての歯の痛みがなくなり、  歯もしっかりとして、  何でも食べられて、  笑っても美しい歯で、  治療費も  納得のいくものでした。 

 

30年前に治した歯は  その後、  何の問題もなく機能しています。  歯で問題が起きても、  短期間でちゃんと治るため、  もう歯では  心配しなくても良いという  アメリカ歯科標準治療  を実際に体験して、  自分も、いつか、  こんな治療をマスターして、  歯で困っている人を  助けることができたら  毎日が  楽しいだろうなあ  と思いました。 

 

これが私がアメリカで、  Dentistを  目指すことになった理由で、  今から約30年前の出来事です。  その後、私を取り巻く環境は  ことごとく変わりましたが、  この気持ちは今も変わっていません。 

 

参考: Navigator 尾崎豊 

 

1995年10月15日 

2014年05月12日

updated  Norman Yamazaki, DDS.